以前、【やりすぎ都市伝説】にてあばれる君のコーナーでこの言葉の語源を知りました。
※語源は諸説ありますが、僕としてはこの説が一番しっくりくる。
語源は下記のようになります。
延暦寺の根本中堂の中に1,200年間一度も火が消えたことがない『不滅の法灯』があり、この法灯が途絶えないように僧侶が毎日欠かさずに菜種油を注いでいる。
※1,200年を日に換算すると、単純計算で438,000日。
一度でも菜種油を注がない火があれば1,200年間守り続けてきた火が消えてしまうことから、油断大敵という言葉が生まれたらしいです。
一度消えてもまた点けれる。
が、一度消えてしまえば1,200年という歴史が一瞬で途絶える。
例えば、今日火が途絶えたとしてまた1,200年続けるとなると西暦3,222年になってしまう。
歴史を含めて紡がれてきたものも簡単に途絶えてしまうものである。
また最澄は、この火を絶やさせないことによって自分の魂そして天台宗の教えも絶やさないというギミックも考えたのかもしれない。
一つの習慣が慣習になり、慣習が歴史や伝統になる。
毎日続けることは大変だが、やり続けれる仕組みをつくることが大切なのだろう。
毎日続けることは常に自分を律する手段でもある。
人の心はうつろいやすく、弱いもの。
常に心に菜種油を注ぎ続け、焚き続ける必要がある。
もしかすると延暦寺の『不滅の法灯』より、人間の『心の灯火』を途絶えないようにすることの方が難しいかもしれない。
自分自身に対しての『菜種油』は何かを発見し、注いでいく。
そして赤い炎ではなく、より温度の高い『青い炎』でありたいと思う。