崇めてしまう危うさ

『人を崇める人』が多いと感じる。

【崇める>尊敬する】という僕としては認識をしている。

人を崇めるという行為は、ビジネスの社会において危うさがあるのではないか。

会社に働いている社員が、社長を崇めるというのは『私は社長に勝てない』と宣言している。

もはや心からの敗北宣言だと僕は感じてしまう。

そう思った時点で、一生その社長には勝てない。

僕は尊敬する社長はいるが、崇めることはない。

むしろまだ僕自身がそっちの立場にいないという悔しさの方が上にあるタイプ。

社長の立場からすれば、社員から崇められると『社員との距離を感じる』と思ってしまう。

崇められた一番の危うさは、『社長の意見は絶対』と思い、社員が社長に意見を出来ない状況だ。

これは社会主義や共産主義の国家の独裁者を見れば分かるように、トップに対して何も言えないという環境は良くない。

国家組織と会社組織は違うと思われるかもしれないが、僕は会社組織で目の当たりにしてきた。

自由闊達な意見、そして時には厳しい意見を言える環境でないと、いつかは判断ミスや反発を生む、酷ければ崩壊へ。

環境や風土をつくりはじめるのは、社長。

培うのは、社長と社員。

環境や風土は一日で形成するのは、難しい。

軸を持ち、コツコツと継続していくが、新しい変化を厭わない。

軸が崩壊すると、環境や風土は一瞬で崩壊する。

難しい問題だが、向き合い続けないといけないことである。

崇める社員が多ければ、社長はやりやすいかもしれない。

しかし、後から歪みが出てくる。

そこの歪みに対して、修正をできないといけない。

その時々で主観と客観の視座・視野・視点を使い分けれるようにする必要がある。

僕は、これからも人を尊敬することがあっても崇めることはないだろう。

(※天皇陛下をはじめ皇室に関しては、僕は崇めています。)